日景(ひかげ)温泉ー日栄館、アトピー湯治





一、日景弁吉開湯  

      ―塩に硫黄に鉱物のお風呂―



弁吉がこの地で温泉を掘り当てた時、
彼はとっさに何を思ったのだろう?
おそらくは・・・「磐梯山(ばんだいさん)は宝の山じゃ」とそう思ったに違いない。
 日景(ひかげ)温泉は明治時代から陸奥(みちのく)の秘湯として知られ、「三日で一回」と歌われてきた。その白い出湯(いでゆ)は、不思議にも源泉のいわれを福島の磐梯山としている。
 塩辛いお湯、苦味のお湯、臭水(くさみ)のお湯、程よいお湯、飲泉のお湯は含まぬ成分がないくらいに栄養が豊富で、その全体をペーハー6.0の中性の硫化水素泉でくるんでいる。さほど肌の負担にならない塩加減は、それゆえに長湯をしやすい。源泉41度のぬる湯は心地よく、肌がゆくっりと滋養を吸い上げる。
 その反面、ここでの寒湯治はかぶり湯もままならないほどの凍てつきへと変わる。
 直しは強塩化物泉(高張食塩泉)のような過程をえて軽快していく。
硫黄が濃くかすけがすごいが、酸性泉のように痂皮(かさぶた)はできない。殺菌はメタホウ酸の働きで行われ、徐々に皮膚の痒みはおさまっていく。更にホウ酸が皮膚に染み込む塩の濃度を整える。三日たつ頃には、少しずつ体の「排毒」が始まる。肌患部の赤みと肥厚、落皮に顔のヒリヒリとしたほてり等がそれである。常時塩水を飲泉することで、お腹は下りガスが出やすくなる。これは炭酸(重曹)を多く含むからだろう。
 「始めは10分、日に3回まで、湯は3分の1に割って飲むこと。毒が吹きますよ」。ふと女将の言葉を思い出した。
 
「朝湯で身上(しんしょう)つぶすわけにはいかないから、病者にも福の湯を分けようではないか・・・」―この大きな湯宿は日景一族の誓願を物語っている。


二、赤い湯治宿舎、日栄館 


 開祖弁吉と薬神を祀った小さな(やしろ)が、丘の上から子孫と湯客を見下ろしている。その視線はまっすぐに旅館のロビーへと貫いている。
 杉の木で縁取られた洒落たラウンジがある。太い薪木(まきぎ)を使った古い暖炉は、湯上り後に集う客を温めている。高い天井には大きな扇風機が回り、陸奥の紙芸でこさえたランプシェードが、空間に落ち着きを与えている。
 旅館の中心は車で来る地元の日帰り入浴者達である。宿42床と湯治部屋10余りに及ぶ広く大きな館内は、昭和のレジャー・ブーム全盛時代の名残であろう。寝枕に聞こえるのは、大湯沢川のせせらぎと、時に林を揺さぶる風の音だ
けである。福猫、茶々丸のフサフサした深い毛が冬支度を知らせている。従業員が雪の凍結を防ぐために、次々と窓に板張りをしている。蛇口の水もチョロチョロと流れたままだ。
 北の寒湯治は草津の山同様、寒さと乾きが激しい。硫黄でかすける肌に油を塗る。
 川沿いに桜の低木が植えてある。「この寒さを超えたらきっと、桃色の柔らかな光景に出会えるよ・・」ー紫式部の花実がそうささやいている。
 
寡黙な人々は余分な物を言わない。その語り口に、時にススキのような隙間を、時にたんぽ鍋のような温もりを感じたりする。

                     

 中都市郊外型の日景温泉は、弘前駅や大館駅にも近い。番頭は湯治客の買出しのために陣場駅まで車の送迎をしている。
 湯治客が安心して入浴できる理由は、体に穏やかな塩湯と専用の四角い湯船があるからだ。それは「日本秘湯を守る会」の湯として手を加えていない掛け流しの湯である。患者は専ら、生活用具にだけ留意すればいい。日栄館にあるものは数少ない。貸し部屋はガランとしているものの保存はいい。お台所や洗面所を従業員が清掃しに来る。湯治客も昼食を食堂で取ることができる。湯疲れた体には多少塩味の効いた郷土料理(しょっつる鍋・馬肉鍋・きりたんぽ鍋)などもいいかもしれない。
 この古びた茶色の建物に時を感じる。台所や回廊に時が刻んである。その匂いがしみついている。人の幾度もの苦さと笑いとがしみついている。

 

三、矢立(やたて)峠杉群生

            ―林や森の精霊たち―                 
  

 その名のいわれは・・・「杉の木を矢のように立てて並べ、青森と秋田との国境を引いた」と言うところからきている。
 温泉宿の裏手は散策路となっていて、自然の形そのままの遊歩道がある。
  矢立峠の鬱蒼とした林路のもつ木深(こぶか)さは、街中ではそう易しく表現できない。
 木の香りを思う存分、鼻から入れる。小高い石段を一つ一つ登って行くと、そこには小さな清流が、小気味良く流れている。黒い老木が倒れたまま土の滋養と化している。短く断たれた大木の切り株からは、みずみずしい緑の新芽が生えている。
  甚吉(じんきち)森の頂きからは、白神に連なる山々と黒く(ブラック)深い(フォーレスト)が見渡せる。
  湯の力と森の力が確かに一つとなって、人の力を最大限に引き出してくれるような気がする。その純朴な治病への願いと信心とが、心の内の薬神へと届いていく。    








             

 

 

 2006年12月記








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